おじさん
おじさんが亡くなった。
厳密に言うと母の叔父なので少し遠い親族だが
幼少の頃から世話になっていて住まいも実家から近かったこともありかなり身近な存在だった。
明後日葬儀だ。
最近某ロックンローラーが亡くなったが、
同様のレベルでロックンロールな人はだったと思う。
そんなおじさんのロックンロールなエピソードをブログにて振り返ろうと思う。
①アル中
おじさんはおれが小学生の頃から
「よう健太郎!酒飲むか?!」というような酒飲みで
多分アル中に近かったと思う。
昨今は介護施設に入っていて、年に数回しか自分も会いに行っていた。
喉のガンだったにも関わらず、病院での検査後にコンビニでビールを2本買って、餃子を食べビールを飲むような破天荒な80歳だ。
施設でその話をすると「いいんだよ!やっぱビールってのはうめえよなあ。」などとよく言っていた。
アル中で喉のガンで、施設に入り大学病院で検査・治療を受けているとは思えないタフな反面教師だった。
②三途の河を見てる
過去にバイクで壮大な事故を起こしている。
ビートたけしレベルの生死を彷徨う大事故だったようだ。
当時の状況を祖母から聞くとぶっちゃけほぼ死んでもおかしくないほどの重体で生きてたのが奇跡だったとのこと。
その時の話をおじさんに聞くと
「死んだおかあちゃんがいてよう、一郎(おじさんの名前)、一郎や、こっちにおいでって呼んでたんだよ」
と嘘か誠か、なびっくりエピソード。
絶対その頃からアル中だったが驚異的な生命力だ。
③元○○○?
おじさんは佇まいがめちゃくちゃチンピラで
介護施設では全身刺青の元チンピラ?みたいなおっさんに「兄貴」と呼ばれ慕われていた、という話を聞く限り昔は相当やんちゃだったようだ。
腕には謎の傷跡があり、なんの傷なのか?と聞くたびに理由が違ったが、祖母曰く何かしらから足を洗った時に刺青を自ら抉った傷だそう。
もう少し若い頃は横浜に住んでおり、肩をいからせながら歩いて日々喧嘩に明け暮れていたという。
あまり詳しく書きすぎるのも怖いのでとりあえずざっくり思い出せるだけ。
細かいエピソードを振り返ると多分もっと色々タフな話が出てくることには間違いない。
自分も小学生の頃オロナミンCだ、と言われて強力な栄養剤を飲まされ中毒になって病院に行ったことがある。
自分は世からあぶれた面白い人がこの上なく好きなのだが、
今思えばこういう人物が身近にいたことがルーツとなっていたのかもしれない。
ただ、もう一度一緒に酒飲みたかったなあ。。
ありがとうございました。
おじさん、どうか安らかに。